[ヨーロッパ−中世]
ヤギェウォ朝の初代ポーランド王。
元の名はヨガイラで、リトアニア大公であった(ヤギェウォはヨガイラのポーランド語読み)。
ゲディミナス朝の大公アルギルダスの息子だが、
異教国家であることもあってか若い頃の事績はよくわかっていない。
リトアニア大公国を継承した後は、ジュチ=ウルスの有力者ママイと同盟して
モスクワ大公と同盟した兄アンドリュスと戦ったり、
親族のケーストゥティス・ヴィータウタスやドイツ騎士団と戦った。
ドイツ騎士団に対抗するための提携先としてポーランドを選び、
女王ヤドヴィカと結婚した上でカトリックに改宗し、
ポーランド王ヴワディスワフとして即位した。
これによってポーランドとリトアニアは同君連合となり、
他を圧する大国となった。
またリトアニアのカトリック化・ポーランド化は順調に進み、
後の合併へと繋がることとなった。
ヤドヴィカの死後もポーランド王位を保持し続け、
また長年争ったヴィータウタスを屈服させて政権を安定させたが、
ドイツ騎士団に対しては領土問題で険悪となった。
遂に両者は激突したが、タタール人軽騎兵・ポーランド重騎兵を活用したポーランドが
タンネンベルクの戦いで圧勝した。
ドイツ騎士団を完全に屈服させることこそできなかったものの、
この地域の諸都市をポーランドに服属させ、覇権を握ることとなった。
ただし和平の条件が甘すぎると貴族の反発を招き、
それを宥めるため貴族に多くの特権を認めさせる羽目に陥ってしまった。
長年子ができなかったが、晩年最期の妻ゾフィアとの間に2人の息子、
ヴワディスワフ(3世)とカジミェラスが生まれ、
ヴワディスワフの死後にそれぞれポーランド・リトアニアを相続した。
ヴワディスワフはポーランド=リトアニアを統治した最初の王であり、
またとりわけタンネンベルクの戦いの勝利者として有名である。
現在でもカジミェシュ大王などと並ぶ名君として知られている。
ただし軍事的に成功した反面、大幅に貴族特権を認め、
後世ポーランドの宿痾を生み出してしまった。
世界中に多くいる「功罪相半ば」な英雄と言えよう。