[北米−近代]
アメリカの軍人。
南北戦争でグラントの部下として南部を焼き払う焦土作戦を実施し、
近代戦の創始者と評される。
ミドルネームのテカムセはショーニー族の酋長の名。
オハイオ州で判事の子として生まれるが、
幼くして父を亡くし、政治家のトマス=ユーイングに引き取られた。
長じて陸軍士官学校に入り、卒業後は砲兵士官となり、
米墨戦争では主に後方支援事務を務めた。
戦後退役してゴールドラッシュに沸くサンフランシスコで銀行を経営したが、
銀行の経営が行き詰るとストレスで病気になり、
以後この病に悩まされ続けることになった。
銀行の倒産後カンザス州で法律家を目指すもこれも失敗し、
ルイジアナ州の軍学校で学長となった。
南部が独立するとその失敗を予見して学長を退任し、
ワシントンへ行き北軍の連隊長に任命された。
軍功で准将に昇進するもストレスによって一時静養を余儀なくされるが、
復帰後はグラント配下の指揮官として西部戦線で活躍した。
精神が弱く度々変調をきたしたシャーマンだが、
アル中のグラントとは相性が良く、
西部戦線の快進撃を実現させた。
グラントが総司令官としてワシントンに呼ばれると、
シャーマンは後任の司令官として西部戦線を任されることになった。
シャーマンは南部の要衝アトランタを陥落させると、
南軍の継戦能力を奪うため「海への進軍」と呼ばれる破壊活動を伴う進軍を行った。
目的地の港町サバンナで年を越すとグラント率いる主力との合流を目指して北上し、
道中サウスカロライナ州で海への進軍を上回る徹底的な破壊を行った。
ノースカロライナ州でグラントとの挟撃体制が整うと
リー・ジョンストン両将軍は遂に抗戦を断念して降伏し、南北戦争は終結した。
戦後は大統領となったグラントの後任として大将・陸軍総司令官になり、
引退するまで14年間勤めあげ、対先住民戦争などで指揮をとった。
シャーマンは将兵の質の差から正攻法で勝てない南軍相手に後方破壊活動を実施し、
総力戦を編み出した近代戦の創始者と呼ばれるようになった。
しかしシャーマン自身は線の細い平和主義者であり、
度々ストレスのため変調をきたすような人物であった。
しかし軍事的合理性から南北戦争や対先住民戦争で
冷酷な作戦を実施しなけれならず、
増々精神的に追い詰められていったと推察される。