ウィリアム3世

[ヨーロッパ−近世]

ステュアート朝のイングランド王。 オラニエ=ナッサウ公・オランダ統領でもあり、 オランダ統領としてははウィレム3世。 またオラニエ公 (フランス語でオーランジュ公) が英語ではオレンジ公となり、 オレンジ公ウィリアムとも呼ばれる。 ウィレム沈黙公以来のオラニエ=ナッサウ公・オランダ統領の家系に生まれ、 生まれる前に父ウィレム2世が死去したため、生後すぐに公位を継いだ。 オランダ統領は世襲に反対する一派により成長後も就任できなかったが、 フランス王ルイ14世が侵略を始めると反対派のデ=ウィッテ首相が失脚、 統領に迎え入れられイギリスやオーストリアと同盟してフランスを撤退させた。 その後ヨーク公、後のイングランド王ジェームズの娘メアリーと結婚した。 そのためイギリスで名誉革命が起こると新王として迎え入れられ、 軍勢を率いてイングランドに上陸してジェームズを亡命させ、 妻メアリーと共にイングランド王となった。 オランダ統領の地位は保ったので、(共和制の統領は君主ではないが、) イギリスとオランダは事実上の同君連合となった。 即位後は復位を狙うジェームズやその後ろ盾となったルイ14世と戦った。 結局落馬事故で死去するまで、その生涯はフランスとの戦いに費やされた。 ウィリアム3世は名誉革命で迎え入れられ、 権利章典を受け入れた王として有名だが、 それに劣らず、 イギリスの反フランス路線を確立した王として重要な役割を果たした。

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