ウィレム1世

[ヨーロッパ−近世]

80年戦争時のオランダ独立派の指導者。 オラニエ公・ネーデルラント諸州の総督でもあり、 後世「沈黙公」と呼ばれた。 ドイツ中部のナッサウ伯の息子として生まれ、 さらにネーデルラントと南フランスのオランジュ (オラニエ) の所領を相続した。 これ以降ウィレムの家系はオラニエ=ナッサウ家と呼ばれるようになった。 ナッサウ家は先祖代々ブルゴーニュ公に仕えており、 ウィレムもその継承者のカール5世に仕えて厚遇された。 しかし次代のフェリペの代になるとネーデルラントと王の対立は深まり、 暴動に発展するとネーデルラント貴族はその責任を取らされた。 ウィレム自身は処刑されなかったものの、財産・所領没収の憂き目に遭った。 ここに至ってウィレムは反乱側に立ち、その出自から指導者となった。 また元々はカトリックであったが、プロテスタントに改宗した。 彼自身「沈黙公」のあだ名通り雄弁ではなかったし、 戦術も程々で息子マウリッツと違って天才的とは言えなかったが、 「海の乞食」と呼ばれる海賊集団を味方に付け、 ゲリラ戦によって優勢なスペイン軍相手に互角の戦いを繰り広げた。 またフランスの王弟アンジュー公を王として担ごうとしたが、 これはアンジュー公の早世によって未遂に終わった。 ウィレム自身もその直後にカトリックの過激派に暗殺され、 その遺志は息子のマウリッツに受け継がれることとなった。

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