ワーテルローの戦い(ワーテルローのたたかい)

[ヨーロッパ−近代]

現ベルギーで行われたナポレオン率いるフランス軍と イギリス・プロイセンを中心とした反フランス連合軍との間の戦い。 ワーテルローは連合軍の中核となったイギリス軍の司令部の所在地で、 実際の主戦場はやや離れたラ=ベル-アリアンスである。 一度は退位したナポレオンだが ウィーン会議が行き詰まっている隙に流刑先のエルバ島を脱出し、 パリに帰還して皇帝に復位した。 諸外国は即座にナポレオンを無法者として宣戦布告し、動員を開始した。 これに対しナポレオンは機先を制するためネーデルラントに進撃し、 駐留していたイギリス・ネーデルラント連合軍とプロイセン軍を撃破しようとした。 しかし復位後のナポレオンは人材難に悩まされ、 有能な前線指揮官であるダヴーやスールトを 戦争大臣・参謀総長といった後方任務に就けざるを得なかった。 ナポレオン率いる軍勢は左翼をネイ、右翼をグルーシーに率いさせ、 ナポレオン自身は予備軍を率いて進軍し、 先ず前哨戦でプロイセン軍を後退させた。 プロイセン軍の追跡をグルーシーに任せ、 ナポレオンとネイはイギリス・ネーデルラント連合軍と対峙し、戦いが始まった。 しかしナポレオンもネイも指揮に精彩を欠き、 またスールトも参謀としての役割を十分に果たせず、 その結果グルーシーはプロイセン軍の拘束に失敗して連合軍側が優勢になり、 またネイは無謀な騎兵突撃を命じてしまい大損害を出すことになり、 終には虎の子の親衛隊まで敗北してしまい敗走を余儀なくされた。 連合軍側もイギリス軍は主力が米英戦争に向けられて ヨーロッパにいるのは新兵ばかり、 プロイセン軍は再建途上であったが、 ウェリントン公やグナイゼナウの采配、 プロイセン参謀の迅速な動きによって勝利を勝ち取った。 この敗戦によってナポレオンはまた失脚し、 イギリスによって南大西洋の孤島であるセントヘレナに流刑となり、 そこで生涯を閉じた。
ナポレオンはエルバ島から脱出し再起を賭けたが、 この戦いの敗北によって完全に夢敗れた。 スールト・ネイ・グルーシーらは何れも ナポレオンの部下に多かった勇猛な前線指揮官であり、 参謀や一軍の司令官を十分に務めることは出来なかった。 それが可能なダヴーやスーシェは適任者が他にいないことから 後方や他の戦線に使わざるを得ず、 人材不足に悩まされた挙句の結果であった。 またナポレオン自身も健康の悪化もあって判断の衰えが目立ち、 敗れるべくして敗れたと言える戦いであった。

見出しのページに戻る
歴史小事典+歴史世界地図に戻る