大同盟戦争(だいどうめいせんそう)

[ヨーロッパ−近世]

領土拡大を続けていたフランス王ルイ14世とそれに対抗するアウグスブルク同盟の間の戦争。 アウグスブルク同盟戦争、プファルツ継承戦争、九年戦争とも呼ばれる。 ヨーロッパ最強となった陸軍力を背景に フランス王ルイ14世はオランダ継承戦争後も領土拡張を続け、 ルクセンブルクとストラスブールを一方的に併合して周辺諸国の警戒を招いた。 プファルツ選帝侯で候の死去に伴い遠縁の親戚が継承すると、 ルイ14世は弟の后の継承権を主張した。 反感を抱いていたオーストリアを始めとする諸国は アウグスブルク同盟を結成してこれに対抗した。 両者はケルン選帝侯の継承権を直接の切っ掛けとして戦争に突入した。 当初フランスはイングランドを味方として オーストリアがオスマン帝国と戦っている隙にラインラントに侵攻したが、 イングランドで名誉革命が発生し、 反フランスのオランダ総統ウィレムがウィリアム3世として即位した。 このためアウグスブルク同盟には

・オーストリア
・ドイツ諸侯
・イングランド
・オランダ
・スウェーデン (戦争では中立)

が加わり、さらに

・スペイン
・サヴォイア

も後に参加し大同盟とも呼ばれるようになった。 そのため事実上フランス対他のヨーロッパ諸国の戦争となった。 いかにフランスが最強国といえどもこの戦いでは不利な情勢となり、 イングランドは亡命したジェームズ2世を支持するジャコバイトにより主力を拘束し、 イタリアでサヴォイアを破って同盟から脱落させたものの、 他の戦線では膠着状態となり和平を結んだ。 その結果フランスはストラスブール以外の占領地を返還、 直接の切っ掛けとなったプファルツ・ケルン選帝侯の継承権も取り下げ、 事実上敗北した。 ただしこの譲歩はルイ14世がスペインの継承権を狙っていたためであり、 これが次のスペイン継承戦争の発端となる。

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