ウラジーミル1世

[ヨーロッパ−中世]

キエフ大公国の大公。 キエフ大公国をキリスト教化したため「聖公」と呼ばれる。 父スヴャトスラフ1世の代に北ルーシのノヴゴロド公となっていた。 父の死後2人の兄が争うと身の危険を感じたウラジーミルは海を渡り スカンディナヴィアに逃亡した。 しかし、ノルマン人傭兵隊を率いて帰還し、兄ヤロポルクを打ち破って 自分がキエフ大公となった。 その過程でポロツク公国の姫に求婚したが断られ、 ポロツクを征服して略奪婚するなど非情な行動を取っており、 ヤロポルクも最期は謀殺したと伝えられる。 即位後は周辺部族を制圧して国土を拡大させる一方、 最初は古来よりの多神教を核とした政治改革を行ったとされるが、 これは結局失敗した。 そこでキリスト教を導入し、自身が洗礼した後それまでの多神教の偶像を破壊した。 伝えられるところによると、「ユダヤ教は悲惨な流浪者の教え」 「イスラム教は豚が食えない上に酒も飲めない」ためキリスト教にしたという。 さらに内乱中で味方を欲していたビザンツ帝国の皇帝バシレイオス2世の妹と結婚し、 ビザンツ文化を取り入れ当時の先進国の仲間入りを果たした。 一方多くの息子達を各地に統治者として派遣したが、 これは後のキエフ大公国分裂の遠因となった。 最期も対立した息子のヤロスラフを討とうとしたが、 その前にウラジーミルが死去したため決着は次代に持ち越された。

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