[ヨーロッパ−近世]
フランスの軍人で、6人のフランス大元帥の一人。
フルネームはクロード=ルイ=エクトル=ド=ヴィラール。
南仏の小貴族の子として生まれ、長じて軍人となり、
オランダ侵略戦争で奮戦が認められて騎兵隊長となった。
その後バイエルンに派遣されてオスマン帝国と戦ったり、
フランスの騎兵隊長としてオランダ=イングランドと戦ったりし、
戦間期には大使としてオーストリアの情報を本国に伝えるような仕事もした。
スペイン継承戦争では司令官としてバイエルンと共闘し戦功により元帥になったが、
バイエルン候マクシミリアン2世と折り合いが悪く、
勝利の後バイエルンの勢力拡大を求めるマクシミリアンに対しウィーン攻撃を主張して対立し、
本国に召還され反乱鎮圧に回された。
しかしその後フランス・バイエルン連合軍はマールバラ公率いるイギリスと
プリンツ=オイゲン率いるオーストリアの連合軍に敗れ、
反乱鎮圧後に公爵・ライン方面司令官として再び前線に復帰した。
ここで不利な状況下で一進一退の攻防を繰り広げたが、
再びライン戦線に回ってきたマクシミリアン2世とまた対立し、
また本国に召還された。
その後ネーデルラント方面が危機的状況に陥ったためそちらの司令官となり、
自身は負傷し敗北はしたものの敵軍に自軍以上の大打撃を与えて政局を動かすこととなった。
まずはイギリスを単独講和に持ち込み脱落させ、
その後奪われたフランス都市を奪回してオーストリアとも引き分けに近い形で講和できた。
戦後は重鎮として陸軍大臣、フランス大元帥となったが、
イタリアでオーストリアと対峙中に病死した。
ヴィラールは戦功によってフランス大元帥となった名将で、
フランスでマールバラ公・プリンツ=オイゲンに対抗できるほとんど唯一の司令官だった。
しかし、やや傲慢な性格が災いしてバイエルン候と対立して2度も左遷された。
単に交代に留まらずパッとしない内乱鎮圧や南フランスに回されたのは
宮廷内でも人気がなかったためであったようだ。
それでもその有能さのため危機に陥ると登用され、
不利な状況から巻き返しに成功している。
またテュレンヌと比べても博学多才で、
オーストリアとの和平交渉では同じく多才なプリンツ=オイゲンと意気投合し、
様々な論議に花を咲かせた。
ただしさしものヴィラールも天才過ぎるプリンツ=オイゲンに付いていけず、
別れ際に才をひけらかし過ぎないよう忠告を残したと言われる。
しかしヴィラールの人となりを考えるにきっとそれを聞いた人は
「お前が言うな」または「お前もな」と思ったに違いない。