ウィーン体制(ウィーンたいせい)

[ヨーロッパ−近代]

ウィーン会議によって成立したヨーロッパの国際体制。 フランス革命以前の状態に戻すことで各国の勢力均衡を図り、 革命で生まれた自由主義・国民主義を抑圧した。 また体制を補完するためオーストリア・プロイセン・ロシアによる神聖同盟、 それにイギリスが加わった四国同盟(後にフランスが加わり五国同盟)が結ばれた。 しかしイギリスでは産業革命による資本主義の成長と共に自由主義が広がり ウィーン体制と距離を置くようになり、 スペイン立憲革命への干渉反対を機に五国同盟を抜け孤立主義を採った。 大陸の列強もギリシア独立戦争で利害が対立し、 残った神聖同盟も機能不全に陥った。 自由を求める武装蜂起が各国で発生したが、 フランスの七月革命以外は鎮圧された。 しかしフランスで二月革命によって第二共和政が成立すると、 プロイセンとオーストリアにも波及し、 体制の中心人物であったオーストリアのメッテルニヒを失脚に追い込んだ。 両国は何れも旧体制に回帰したが、 国際秩序は元に戻らず、ウィーン体制は崩壊に至った。

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