ウェスパシアヌス

[ローマ帝国]

ローマ帝国皇帝。本名ティトゥス=フラウィウス=ウェスパシアヌス。 ネロ死後の混乱を収めフラウィウス朝を開いた名君である。 イタリアの地方都市レアテの出身。普通の地方のちょっとした有力者の息子である。 クラウディウス帝・ネロ帝の時代に将軍となり、それなりの戦果を収めた。 反面、ネロが歌っているとき居眠りをして不興を買ったという話もある。 ユダヤで大規模な反乱が起こると、鎮圧軍の司令官に任命され、順調に鎮圧を進めた。 作戦の途中でネロが自害し、ガルバ・オトが相次いで死ぬと、ウィテリウスへの忠誠を拒み、 シリア総督リキニウスとエジプト総督アレクサンデルの支持を得て自ら皇帝を名乗った。 ユダヤの反乱鎮圧は同名の息子(ティトゥス)に、 ローマのウィテリウスとの対決はリキニウスと支持を表明したドナウ軍団に任せ、 自身はエジプトのアレクサンドリアで後方支援兼遊軍に徹した。 やがてウィテリウスがドナウ軍団に敗れて殺害され、ユダヤ反乱も大勢が定まると、 ウェスパシアヌスは勝利した将軍、また皇帝としてローマに凱旋した。 それ以降死去するまで内乱で荒廃した帝国の復興に努めた。 有名なフラウィウスのコロセウム(闘技場)は彼の代に建設が始められ、息子の代に完成した。 病気知らずの健康な体であったが、即位の10年後に病にかかり、そのまま死去した。
ウェスパシアヌスはネロ死後のローマの混乱を収めた名君である。 欠点といえば田舎出身ということもあってか粗野であったこと(これは可愛いものである)、 そして金銭にがめついことであった。 もっとも、それはローマ復興に予算が必要であったからで、 公金横領などは行っていない。 また彼は天才ではないが、公正な為政者であった。 同時にユーモアも持った人物でもあったようで、死去の寸前
「おお、哀れな私、どうやら神になってしまうらしい」(皇帝は死後神格化される)
などという台詞を言ったらしい。 結構愛嬌のあるキャラクターである。ローマ皇帝よりは劉邦や劉備を髣髴とさせる人物である。

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