ウマイヤ朝(ウマイヤちょう)

[中東・ヨーロッパ−中世]

ムアーウィヤによって建てられた最初のイスラム王朝。 王朝の名は建国者ムアーウィヤ…ではなく、その先祖ウマイヤにちなむ。 王朝の名に建国者の先祖の名を用いるのはいわゆる中東では一般的である。 イスラム教草創期の混乱の中政敵アリーを暗殺したムアーウィヤは、 確固たる権力を築きカリフの世襲化に成功し、イスラムとして初の王朝を開いた。 尚、この時点でバグダッドは建設前であり、首都はダマスカスである。 ウマイヤ朝の下でイスラム教勢力は勢力を拡大し、 ウマイヤ朝は俗にアラブ帝国とも呼ばれる。 その俗称の通り、アラブ人を支配者層として他の民族より上位に置き 特に税制で優遇したため、 イスラム教徒となった被支配民族の反発を招き、 ムハンマドの叔父の末裔であるアッバースによって倒された。 しかし、一族のアブドゥル=ラフマーンがイベリア半島に逃れ、 そこで後ウマイヤ朝と呼ばれる政権を打ち立てた。 ここで、一枚岩であったイスラムの中に複数のカリフが並立することとなった。
結局、ウマイヤ朝はイスラム教集団の世俗権力化と分裂を 最初に起こすこととなった。

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