ウルグ=ベク

[中央アジア−中世]

シャー=ルフの子でティムール朝の第4代君主。 祖父ティムールの死後、 若くして父シャー=ルフによりサマルカンドの知事に任命された。 ウルグ=ベクは政治・学問に優れ、サマルカンドは文化都市として 大いに発展した。 また、父が明との関係を改善したこともあり、 サマルカンドでは中国の文化や学問も栄えた。 学校や天文台を多数建設しただけでなく、 自身も「天文表」や「四ハン国史」といった著作を残した。 父の死後君主として即位したが、 その優れた学識に対して武人としての実績が無かったため、 後継者の地位を巡って内乱となってしまった。 さらにキプチャクのウズベク族も侵攻してきたため、 帝国内は大混乱となった。 その最中ウルグ=ベクは自身の長男であるアブドゥル=ラティーフ によって暗殺されてしまった。 その直後アブドゥル=ラティーフも暗殺され、 帝国は解体へと向かうこととなった。
ウルグ=ベクは知事として優れた手腕を発揮した人物であったが、 文人肌であったせいか君主としては実績を残せず殺されてしまった。 もし強大ではあるが政治的に不安定なティムール朝ではなく もっと安定した国の君主であったらほぼ確実に名君として名を残しただろう。 生まれる地と時に恵まれなかった不幸な人と言えるだろう。

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