三頭政治(さんとうせいじ)
[共和政ローマ]
- 第一回三頭政治。
カエサルが当時対立していた名将ポンペイウスと大富豪クラッススを和解させ、
自分を含めた3者でローマを動かす密約を結んだ。
これが第一回三頭政治と呼ばれるものである。
だが、カエサルがガリア遠征で名声が抜きん出たこともあり、
結合は磐石とは言えなかった。
カエサルの娘でポンペイウスに嫁いだユリアが病死し、
クラッススがパルティアに敗れて戦死したため解消され、
以後カエサルと元老院に担がれたポンペイウスは対立することとなる。
- 第二回三頭政治。
カエサルの暗殺後もローマの実権を握っていたカエサル派であるオクタヴィアヌス・
アントニウス・レピドゥスの3者が元老院に国家建設三人委員に任命され行った政治。
ローマ属州の統治権を3人で分け、カエサルを暗殺したブルートゥス・
カシウスらを破ったが、やがてオクタヴィアヌスとアントニウスが対立した。
レピドゥスが身を引いて三頭政治は終わり、
オクタヴィアヌスがアントニウスに勝って時代は帝政へと移っていくことになる。
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