テオドシウス

[ローマ帝国]

  1. ローマ皇帝テオドシウス1世。 本名フラウィウス=テオドシウス。 後に大帝と呼ばれる。 有能な将軍テオドシウスの息子として生まれ、 武勲が西の正帝グラティアヌスに認められ東の正帝となった。 主にゴート族相手の戦いで和戦両面で応じて国境を安定させた。 グラティアヌスが暗殺されマクシムスが新たに皇帝となると、 一旦は認めるが、後にヴァレンティニアヌス2世と共同でマクシムスと戦い、 処刑した。 さらにヴァレンティニアヌス2世がアルボガストに殺害されるとこれを破り、 統一ローマ皇帝となった。 死後ローマを2人の子ホノリウスとアルカディウスに分割して与えたが、 彼以降統一ローマ皇帝は現れなかったので、 最後の統一ローマ皇帝として有名になった。 また、キリスト教を帝国の国教としたため、後に大帝と呼ばれるようになった。 なお、時々誤解されるようだが、彼は最後の統一ローマ皇帝であるが、 帝国を分割したのは彼が最初ではない。 彼自身、最初に分割された帝国の東の皇帝になっている。 分割統治を始めたのはディオクレティアヌスである。 彼はキリスト教を国教とし、ゴート族相手に度々勝利したため「大帝」と呼ばれるが、 随分地味な印象を受ける。 帝国の没落を止められなかったからであろう。 特に後継者の2人の息子の出来が悪かったため、印象が悪くなったと思われる。
  2. 東ローマ皇帝テオドシウス2世。1. の孫。 生まれて間もなく父アルカディウスによって副帝にされ、 父が若死にすると7歳で皇帝になった。 幼い頃は近衛隊長アンテミウスや姉プルケリアが、 長じてからも妃エウドキアが実権を握った。 彼も父同様皇帝としての資質は疑問で、アッティラ率いるフン族の攻撃に対して、 多額の賠償金を払って見逃してもらっている。 尚、治世の最中テオドシウス法典が編纂された。 この法典は後のユスティニアヌス法典の先駆けとなるものである。

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