テマ制(テマせい)

[ビザンティン帝国]

ビザンティン帝国中期の地方行政・軍事制度。日本語では軍管区制。 元々小アジアで、イスラム教徒の侵入に対して、 防衛力を強化するために始まり、やがて帝国全土に広まった。 帝国の領土をテマと呼ばれる区域に分け、その中で農民に土地を保証し、 その代価として兵役を課した。 また、ストラテゴスと呼ばれた司令官にテマの軍事・行政の権限を与えた。 このストラテゴスには中央の大臣クラスかそれ以上の権威があったという。 大体1つのテマで数千のカタフラクトス (重騎兵) を徴兵できた。 特にマケドニア朝時代にはテマ制が最大限に生かされ、 世界最強クラスの軍団を保有できた帝国は領土を広げ、政権も安定した。 しかし、バシレイオス2世の死後、ストラテゴスは中央官僚と対立して内乱を招き、 また領内で土地を占有することにより、私服を肥やす代償として 兵力の基盤である農民層を弱体化させた。 加えて内乱に悩まされた中央官僚も軍団を解体し、 兵力の弱体化をさらに進めた。 やがてストラテゴスが封建領主と化し、農民も事実上の私兵となることで テマ制は崩壊した。 また、テマ制とほぼ同時にビザンティン帝国の繁栄も終わったのである。

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