ティムール朝(ティムールちょう)

[中央アジア−中世]

ティムールが築いた中央アジアのマーワラーアンナフルを中心としたイスラム王朝。 軍事の天才ティムールにより東はトルキスタン・インドから 西はアナトリアに及ぶ大帝国となった。 当時の中央アジアはチャガタイ=ハン国が東西に別れ群雄割拠の時代となっていたが、 没落貴族であるティムールが西チャガタイ=ハン国を掌握した。 その際チンギス=ハーンの子孫である「黄金の氏族」出身の傀儡のハーンを立て、 自身は黄金の氏族の女ハヌムを娶ってキュレゲン (女婿) として政権を握った。 ティムールは死去するまで遠征を重ねて前述の領土を得たが、 その死後各地の知事を務めていた息子達の間で継承争いが起こった。 ティムールは孫のピール=ムハンマドを後継者に指名していたが、 その意向は無視された。 タシケント知事のハリルが即位したもののその基盤は弱く、 間もなくホラサンのシャー=ルフに倒された。 シャー=ルフは険悪であった周辺諸国との関係を回復し、 文化と産業を発展させた。 しかし、その死後間もなく後継者ウルグ=ベクが暗殺され、 帝国は再び混乱期に入った。 その後アブー=サイードの代に小康を得た他は反乱や外敵に悩まされ続け、 やがてサマルカンドとヘラートの2つの政権に分裂した。 その後2つの政権は文化は発展したものの国威は奮わず、 何れもジュチの末裔であるシャイバーン朝によって滅ぼされた。 しかし、皇族のバーブルは活動拠点をインドへ移し、 紆余曲折を経てムガール帝国を建国した。
ティムール帝国は遊牧民の政権であったが、 都市住民を保護しトルコ=イスラム文化が花開いた。 しかし、伝統的な権力基盤の弱さ、特に継承の不確実さは如何ともしがたく、 帝国を崩壊させることとなった。 ちなみに毎度お馴染みの後継者争いはムガール帝国にも受け継がれている。

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