タタールの軛(タタールのくびき)

[ヨーロッパ−中世]

モンゴルのルーシ侵攻以降のジュチ=ウルスによるルーシ支配時代を表す言葉。 タタールはキプチャク族によるモンゴル系遊牧民の総称、 軛は家畜に付ける拘束具で、 モンゴルという異民族に支配された状況を指している。 モンゴルのヨーロッパ遠征以降各地の諸侯は独立性を高め、 ルーシを統治したジュチ=ウルスは特に独立傾向が強かったため、 実質ジュチ=ウルスによる支配であった。 ただし、モンゴルによる侵攻は苛烈なものであったが、 その後の統治は比較的緩やかなものであった。 基本的に遊牧民国家であるジュチ=ウルスは農耕民の統治に口出しは控え、 属国といってもルーシ諸侯は貢納と従軍の義務を果たせば 統治は以前のように独自に行えた。 このような状況下でジュチ=ウルスの後ろ盾で力を付けたのがモスクワである。 初代モスクワ公ダニールの父アレクサンドル=ネフスキーは モンゴルと結ぶことで後背の安全を確保し北欧やドイツ騎士団の侵攻を撃退したが、 その子孫であるモスクワ公もモンゴルと結びつくことで ルーシ諸侯内での地位を向上させた。 そしてジュチ=ウルスが内乱で弱くなると属国の地位からの脱却を指向するようになり、 イヴァン大帝の代で完全な自立を実現させた。 その後分裂した元ジュチ=ウルスの諸侯国は モスクワ改めロシアによって吸収されていった。 そのことと以前からの人的交流により ロシアではタタール系の貴族が多く生まれることとなった。
自立後のロシアでは異民族支配を嫌って 「軛」という悪いイメージの言葉を当てはめたが、 実際にはロシアそのものを形成する上で重要な時期であった。 キエフ大公国の衰退以降分裂していたルーシ諸侯は、 結局モンゴルの影響を強く受けたモスクワによって再統一されたのである。

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