タデウシュ=コシチュシュコ

[ヨーロッパ−近世]

ポーランド−リトアニア共和国の軍人・政治家。 周辺国によるポーランド分割に抵抗した蜂起の指導者として有名。 以前は名前が読みにくい所為か、コシューシコと呼ばれていた。 ベラルーシ系貴族の子として生まれ、ワルシャワの幼年学校卒業後 外国で軍人としての教育を受けた。 30代の頃アメリカ独立戦争に義勇兵として参加し、 外国人ながら准将にまで昇進した。 帰国後立憲君主制に移行した祖国ポーランドで議員となっていたが、 干渉を進めたロシアと戦って敗れ、ドイツ(ザクセン)、フランスに亡命した。 その後第2次分割後のポーランドに戻り、 農民たちを糾合して蜂起し、ロシア軍に大勝して失地を取り戻した。 しかし、農民とシュラフタの利害調整が出来ずに蜂起軍の士気が低下し、 援軍を得られなかったこともあり、兵力を補充したロシア・プロイセンに敗れた。 コシチュシュコはフランスへ亡命したが、 共に戦ったポニャトフスキはナポレオン旗下の軍人となったのに対して、 コシチュシュコは同調しなかった。 最期は移住したスイスで病死した。

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