蕭何(しょうか)

[中国−秦・楚漢]

劉邦に仕えた名宰相で、三傑の1人。 沛の田舎で小役人をしていて、何かと問題の多い劉邦を庇っていた。 劉邦には旗揚げの時から従い、専ら事務や補給を担当していた。 劉邦が咸陽に入った際、許可を得て秦の公文書を真っ先に持ち出した。 これが項羽が街を焼いた後にも残り、 後の漢の支配の確立に大きく貢献した。 劉邦が漢中に押し込められた際、軍の中で韓信を見出し、 彼が逃亡すると追いかけて捕まえた。 この時劉邦に脱走したと勘違いされたが、戻ってから事情を説明、 韓信を推挙して大将軍にさせた。 その後項羽との戦いでは後方で内政と補給を担当し、 負け続ける劉邦に次々に物資や兵員を送り込んだ。 その際劉邦の疑いを避けるため、一族の者を皆前線へ送り出している。 天下が統一されると最大の功績者として漢の初代丞相となる。 漢の基本的な制度の殆どは彼が定めた。 自分が推挙した韓信に不穏な動きがあると、呂后とともに彼を討殺した。 自分も劉邦に疑われるのを避けるため、 ある人の忠告に従ってわざと人の田畑を無理矢理買い上げ、 人望を落としているように見せたりしている。 死去の直前、 ソリが合わなかったが実力を認めていた曹参を後継者に推薦した。 跡を継いだ曹参は、蕭何の定めた制度に手を加えず、 無為でいながら名宰相と評された。
蕭何は劉邦を後方で支え、 漢の制度の基礎をつくりあげた稀代の名政治家である。 項羽の配下には彼のような人間がいなかったことが、 勝敗を分けた原因の一つであろう。 また、彼の力量が後の天下泰平をつくったとも言える。

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