[ヨーロッパ−近世]
ロマノフ朝ロシア帝国の軍人。名将として知られ、大元帥になっている。
モスクワで将軍になった軍人貴族の子として生まれ、
軍に兵士として入隊し下士官まで昇進した後で士官学校に入った。
部隊指揮官となった後は7年戦争で活躍し、終戦までに大佐連隊長となっていた。
その後ポーランド侵攻での功績で将軍となり、
プガチョフの乱の鎮圧や露土戦争で功績を挙げた。
一時上官のポチョムキンと戦略を巡って対立し左遷されていたが、
ポチョムキンの死後前線に復帰した。
さらにポーランドで発生したコシチュシコの乱を速やかに鎮圧し、
その功績で元帥に昇進した。
フランス革命戦争ではロシア軍最高司令官としてイタリアに遠征し、
北イタリアのフランス軍を破った。
さらにスイスへ転戦したが、別動隊が敗れたためアルプスを越えて退却した。
その後ナポレオンがエジプトから帰国し、和平を結んだため終戦を迎え、
遠征の功績により大元帥となった。
しかし以前より皇帝パーヴェル1世への批判を繰り返していたこともあり、
全ての公職を取り上げられ軍から追放され、
間もなくサンクトペテルスブルクで死去した。
その後パーヴェルが暗殺され、アレクサンドル1世が即位すると名誉が回復された。
スヴォーロフは当時から常勝不敗の名将として知られ、
特に素早い機動戦によって功績を重ねた。
またクトゥーゾフを始め後のナポレオン戦争で活躍する多くの軍人を見出し引き立てた。
反面上司にも容赦なく批判するためしばしば対立し、
ポチョムキンやパーヴェルによって左遷されたり解任されたりを繰り返した。
また並外れた軍略の他に並外れた奇人変人としても知られ、
・朝から大酒を飲んで寝てしまう
・ラッパの代わりに司令官自ら雄鶏の鳴き真似をする
・スヴォーロフの兵士に病気は許されないと喚いて病院から追い出す
・粗末な宿に泊まり、自分が叩き壊すのを防ぐため鏡や家具類は全て撤去する
・解任されていた時期には一日中教会の聖歌隊と歌っていた
といった数々の奇行が伝えられている。 天才とナントカは紙一重とも言うが、紙一重どころか両方にドップリ浸かっていたらしい。 こういうトンデモナイ人でないと天才にはなれないのかもしれない。
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