スラ

[共和政ローマ]

ローマの政治家・将軍。マリウスに対しスラは閥族派の首魁である。 本名ルキウス=コルネリウス=スラ。没落貴族の出身である。 後のライバルであるマリウスの部下としてユグルダ戦役を戦い、頭角を現した。 また同盟市戦争でもイタリアで戦った。 後コンスルとなったが、護民官スルピキウス=ルフスと対立し、 自らの軍隊を率いてマリウスら平民派をローマから追放・処刑した。 次にポントス王ミトリダテスがローマに叛旗を翻したためその征伐に出発、 これと戦い大いに勝利した。 その間にローマでは平民派が復活しスラの属する門閥派に報復したため、 スラは休戦条約を結び、東方を副官のルクルスに任せ、自身はローマに帰還した。 平民派の首領マリウスが病死していたこともあり、スラはすぐにローマを押さえた。 そして、報復として多くの平民派の処刑・財産没収を行った。 この暴挙の被害者の中にはユリウス=カエサルもいた。 スラはローマ史上最初の終身独裁官となり、閥族派として元老院の強化を推し進めた。 自分の成すべきことが終わったと感じた紀元前79年に彼は隠居し、 その1年後に死去した。 しかしその死後、 彼の政策は彼の同志と思われていたポンペイウスらによって覆されることになる。

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