[ヨーロッパ−近世]
近世のイギリスの王朝。
ステュアートは「宮宰」を意味し、
ブルターニュの小貴族からスコットランド王家・イングランド王家となり、
現在のイギリス、すなわちグレートブリテン連合王国を成立させた。
最初は上述の通り小貴族であったが、
ブリテン島に渡った後出世し、スコットランド王家の婿となり、
ブルース家の断絶後スコットランド王となった。
メアリ元女王はイングランドのエリザベス女王と敵対して処刑されたりしたが、
そのエリザベス女王の死後テューダー朝は断絶し、
メアリの息子ジェームズがイングランドの王位に付き、
スコットランドとイングランドは同君連合となった。
しかし王権を強化しようとする王と議会は対立し、
ピューリタン革命・名誉革命を経て王は処刑・追放され、
オランダ総督であったウィリアムが妻メアリと共に王となり、
ウィリアム1代のみオランダも同君連合に近い状態となった。
最後の女王となったメアリの妹アンの代に
イングランドとスコットランドが合併して連合王国が成立したが、
その子は皆夭折したためステュアート朝は断絶した。
その後イギリス王にはハノーファー選帝侯ゲオルクが迎えられ、
現在の王家であるハノーヴァー朝(ウィンザー朝)が成立した。
なお革命後の王家はその前とは全く性格が異なるが、
ウィリアムも王家の親戚で妻のメアリ女王が王の娘であるため
同じステュアート朝の王とされている。
歴史・時代を見るとき王家だけで見ると分からないという見本のような王家である。