バスティーユ襲撃(バスティーユしゅうげき)

[ヨーロッパ−近代]

フランス革命の直接の始まりとなった民衆によるバスティーユ監獄の襲撃事件。 当時開かれていた三部会が行き詰まり、 第三身分主導で球戯場の誓いが行われ国民議会、 改称して憲法制定議会が結成されたが、 王や保守派はこれに対抗するため軍を招集し緊張が高まった。 そんな中国民に人気があった第三身分で外国人であった財務長官ネッケルが 王妃マリー=アントワネットや王弟アルトワ伯ら保守派によって罷免され、 国民の怒りが爆発した。 決起した群衆は廃兵院で武器を調達し、 さらに不足した弾薬を求めて監獄として使われていたバスティーユ要塞へ向かった。 当地にて市民代表が武器引き渡しを求めるも司令官は当然拒否し、 収まらない群衆によって武力による襲撃へと発展した。 圧倒的な群衆の数の前に守備隊は降伏し、囚人は解放されたが、 当初収容されていたのは政治犯と思われていたものの、 実際には政治とは無関係な普通の犯罪者であった。 さらに激高した群衆は司令官を始めとした将兵や政治家が虐殺され、 血塗られたフランス革命の始まりとなった。 この事件でネッケルは復職したものの、 決起した民衆とそれに反対する保守派の対立は激化し、 板挟みとなった国王の影響力は低下していくことになった。

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