ジョージ=スチーブンソン

[ヨーロッパ−近代]

イギリスの技術者。 蒸気機関車による鉄道の実用化に成功し、「鉄道の父」と呼ばれる。 イングランド北部のノーサンバーランド州で炭鉱の機関夫の子として生まれた。 家は貧しくて学校に行けず、父の助手をしながら技術を学び機関夫となった。 スチーブンソンは無学ではあったが、 教育は必要と考え夜間学校に通って読み書きや算数を学んだ。 また炭鉱ポンプの修理に成功したことを切っ掛けに技師になり、 蒸気機関に精通するようになった。 スチーブンソン以前にもトレビシックを皮切りに幾つかの蒸気機関車が製作されたが、 何れも実用には至らなかった。 スチーブンソンはキリングワースで石炭輸送のための蒸気機関車の製作を請け負い、 プロイセンの司令官の名から「ブリュヘル」号と名付けた機関車を製作し、 30トンの石炭を運ぶことに成功した。 当時線路の強度に問題があったが、 錬鉄製のレールの使用や車輪の増加による荷重分散によって克服していった。 その後成人した息子ロバートが助手として父を助けるようになり、 幾つかの鉄道路線で機関車を製作し成功していった。 特にスチーブンソンを有名にしたのはリバプール=アンド=マンチェスター鉄道で、 採用する機関車を選定するためレインヒル=トライアルと呼ばれる競争を行い、 スチーブンソンらの「ロケット」号のみが規定を満たして優勝した。 ロケット号はジョージの助言の下主に息子ロバートが設計したものであったが、 後に世界中で使われる蒸気機関車の基本設計を確立し、 この功績により「蒸気機関車の父」の名声を獲得した。 成功者となったスチーブンソンはその後も各地の鉄道に携わり、 保守的な設計思想やコストに無頓着な所から解任されたこともあったが、 ネームバリューが大きかったため仕事は途切れず多忙な日々を過ごした。 晩年は英国機械学会の初代会長に就任し、 その後は自宅で死去するまで鉱山経営を行った。
スチーブンソンは蒸気機関車の発明者ではなかったが、 発明者であるトレビシックと違って改良に地道に取り組み、 実用化に漕ぎ着けたため「鉄道の父」「蒸気機関車の父」の名声を手に入れた。 蒸気機関のワットと同様設計思想が保守的な部分があり、 ルート選定などでは失敗もしているが、 功績が大きくロバートら後継者にも恵まれたため死後も名声が揺らぐことはなかった。

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