スティーブン=オースティン

[北米−近代]

テクシャン(テキサスのアメリカ人入植者)の指導者。 「テキサスの父」と呼ばれ、州都オースティン等に名を残す。 アメリカのバージニア州で実業家である父モーゼの長男として生まれ、 大学卒業後に家族が経営する雑貨店に勤め、 やがて父の持つ鉱山の管理を任されるようになった。 またミズーリで代議員を務めるなど当時の有力者らしく政治にも係わったが、 その間不況の影響で鉱山を失い、 それに代わる新事業として父はテキサスへの入植を推し進めた。 しかし父モーゼは準備中に死去し、 実際の入植事業は土地を相続したオースティンによって進められた。 入植地は成長し入植者がテキサスの人口の多数派を形成するまでになったが、 メキシコ独立後の混乱を経てサンタ=アナが独裁者となると、 自由を求める入植者たちと対立するようになった。 オースティンはサンタ=アナと妥協してテキサスの地位を守ろうとしたが、 陳情の手紙が危険思想と見做されて逮捕され、 釈放される頃にはテキサス入植者とサンタ=アナの対立は決定的になっていた。 テキサス独立戦争が始まるとオースティンも指導者の一人として加わったが、 政治軍事で大きな活躍することは出来なかった。 戦争はヒューストンがサンジャシントの戦いで勝利し独立を勝ち取り、 戦後行われた大統領選挙ではオースティンら他候補に大差をつけて ヒューストンが初代大統領に選ばれた。 オースティンは上院長官に任じられたが、 間もなく肺炎を患い死去した。

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