宋(そう)

[中国]

  1. 春秋戦国時代の国家の一つ。 殷の王族の微子啓が周に封ぜられた国である。 襄公が楚との戦いで敵に情けをかけて敗れ、覇者になり損ねた。 戦国時代以後周囲の斉や楚に押されぎみとなり、やがて斉に滅ぼされた。 荘子の出身地であり、また墨子もここの出身であるという説もある。
  2. 南北朝時代劉裕が東晋を滅ぼして建てた国。後に斉に滅ぼされた。 この頃の南朝は実に呆気なく政権が替わる。
  3. 北宋。 960年、後周の武将趙匡胤が幼君に代わって帝位に就き建国した国。 趙匡胤は武人だったが、天下統一の後は文を重視し、 科挙制度・文治主義・君主独裁制度を完成させた。 この国は一言で言えば「富国弱兵」である。 経済的には史上空前の発展をしたが、 対外的には中華帝国としては最も弱気である。 簡単に言えば金で平和を買っていた。 やがて数ばかり多い兵や官僚を養うため財政に苦しみ、 王安石らによる改革を行うことになる。 しかし司馬光を中心とする保守派と対立し、 官僚は新法党と旧法党に別れて争うことになる。 おかげで改革はさっぱり進まなかったが、国家や国民はほぼ安泰であった。 歴代の皇帝はバランス感覚が優れていたようだったが、 やがてそうでない芸術皇帝徽宗が現れ、政治が混乱する。 特に外交の失敗で新興国金を怒らせ、一旦滅ぼされる。
  4. 南宋。徽宗の息子で北宋最後の皇帝欽宗の弟趙構が 1127年江南に逃れて建国した国。 建国当初は岳飛や韓世忠等名将を輩出し、金相手に 互角の戦いをしたが、 彼らは地方軍閥であったため連携が弱かった。 やがて秦檜が権力を握り、 岳飛を殺し韓世忠を引退させると金と和平を結んだ。 結果的に、北宋と同じくプライドを犠牲にして平和を金で買ったことになる。 しかし、既にこの頃経済は江南の方が発達しており、 北宋以上に南宋は経済的に発展した。 そして北宋と同じく外交の失敗からモンゴルに侵略の口実を与え、 権臣賈似道によって内政が乱れていたこともあって元に敗北、 1279年克Rで幼い皇帝 ・10万といわれる家臣や将兵と共に地上から消えていった。

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