[中国−後漢末・三国]
後漢末の英雄で、呉の大帝。字は仲謀。
父孫堅・兄孫策が若くして死んだため、若くして当主となる。
兄孫策が「江東の兵を率いて戦うことは俺が上だが、
人材を登用し内を治めることはお前が上だ」
と言ったように、内政や人材活用に優れていた。
兄の義兄弟周瑜を始め、多くの人材を活用し、
長江流域に勢力を広げていった。
劉備が荊州を返さなければ曹操と同盟し、
劉備の死後は再び蜀漢と同盟して魏に対抗するなど、
外交も柔軟であった。
だが孫権は怒りやすく、
しばしば激情に駆られて部下に仕打ちをすることがあった。
正史では、その点父や兄に及ばないとしている。
また、晩年三男で太子の孫和と四男の魯王孫覇との後継者争いを招き、
名将陸遜まで死なせてしまった。
これは孫権の老害と見るのが一般的である。
幼い孫亮を後継者に指名して死去する。
孫権、ライバル曹操や劉備に比べると大義名分があまり無い。
だから外交も自由にできたし、江南で独自の方針を貫くことができた。
だが、その分英雄としての押しが弱い。
やっぱりこの人主役にはなれそうもない。ファンには悪いが。