動乱時代(どうらんじだい)

[ヨーロッパ−近世]

ロシアにおいてリューリク朝の断絶からロマノフ朝成立までの混乱期。 リューリク朝最後のツァーリであるフョードル1世の死後、 摂政であったボリス=ゴドゥノフが即位した。 しかしフョードルの弟ドミトリが変死していたことに対する疑惑や ボリスがリューリク朝と血縁関係に無かったことから治世が安定せず、 さらに人口の3分の1が死亡するという大飢饉が重なったため国内は大混乱に陥った。 その状況でドミトリを僭称するものが現れ、 ポーランドの貴族の支援を得てボリス=ゴドゥノフの死後首都モスクワを占領するまでに至った。 その後リューリク朝の血縁のある貴族や別の偽ドミトリが跋扈して内乱状態となり、 そこにポーランド・スウェーデンといった隣国の介入を招いてまたモスクワを含む各地が占領された。 その後民衆蜂起によって独立を回復し、 ゼムスキー=ソボル(全国会議)によってリューリク朝と血縁関係にあるミハイル=ロマノフ がツァーリに擁立され動乱時代は終わった。 しかしその後スウェーデン・ポーランドとの講和で領土の譲歩を余儀なくされ、 さらにポーランドと再戦することになるなど影響は後々まで長く残ることとなった。

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