スカンデルベグ

[オスマン帝国・ヨーロッパ−中世]

アルバニアの英雄。 本名はギェルギ=カストリオティと言い、アルバニアの貴族出身であった。 父がオスマン帝国に臣従したため、スルタンのムラト2世の下に人質として送られ、 イスラムに改宗して彼自身もスルタンに仕えるようになった。 ジェルジは数々の戦いで武功を挙げ、 アレクサンドロス大王に因んだイスケンデル=ベイの名を授かった。 通称のスカンデルベグはこれのアルバニア語読みが訛ったものである。 その功績から父の領土の付近を封土として与えられてアルバニアの司令官となった。 しかし彼はその直後から独立のための根回しを始め、 ハンガリーのフニャディ=ヤーノシュがオスマン帝国軍を撃破したことを切っ掛けとして キリスト教に再改宗、オスマン帝国に反旗を翻した。 ヴェネツイア・ナポリ・教皇といったイタリア諸国の支援を取り付けた スカンデルベグはアルバニア北部を統一し、 差し向けられたオスマン帝国の3万の大軍を5分の1の兵力で打ち破った。 しかしその後状況はなかなか好転せず、 一時は身内の裏切りにより大敗し窮地に陥ったが、 再び差し向けられた16万の大軍をやはり5分の1の兵力で破り、 何とか凌ぎ切った。 彼の病死後もアルバニアは独立を維持したが、 状況は好転せず12年後にオスマン帝国により併合された。
スカンデルベグはフニャディ=ヤーノシュ・ヴラド3世 (ツェペシュ) と並び オスマン帝国に対抗した英雄と見られている。 彼は元々オスマン帝国に仕えていたが寝返って独立した謂わば乱世の奸雄である。 一方当時最強と見られていたオスマン帝国軍を劣勢な兵力で度々破り、 その軍事手腕は先に挙げた面子の中でも最高ではないかと思われる。 アルバニアという小国の領主として独立したため 辛うじて独立を維持する程度の成果であったが、 人物としては征服者メフメト2世に匹敵する英雄であったと言えよう。

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