[ラテンアメリカ−近代]
南米の革命家で、
リベルタドーレスと呼ばれる独立運動指導者の中で最も著名な人物。
フルネームはシモン=ホセ=アントニオ=デ=ラ=サンティシマ=トリニダード=ボリバル=パラシオス=ポンテ=イ=ブランコ。
(スペイン系はフルネームが長い!)
現ベネズエラのカラカスで名家の子として生まれ、
幼くして両親を亡くすものの家庭教師によって英才教育を受けた。
長じてヨーロッパで遊学し、結婚して帰国したが、
妻マリアは黄熱病で間もなく死去し、以後ボリバルは生涯独身を通した。
その後再びヨーロッパへ戻ってナポレオンに仕えたが、
南米でのスペインからの独立運動を高まりを見てこれに加わった。
ボリバルは革命の支持を得るためイギリスへ派遣されたが、
説得に失敗して帰国、独立を宣言したベネズエラの国軍に入隊した。
しかしカラカス地震の被害などもあって戦いに敗れ、
カラカスがスペイン軍に占領された。
敗走しながらも各地で転戦を続けたボリバルは解放軍の司令官となり、
ハイチの援軍を取り付けると反撃に転じ、
スペインとの関係が悪化したイギリスの義勇兵が加わったこともあり、
ボヤカの戦いで勝利してヌエバ=グラナダ共和国の大統領兼指揮官となった。
ここでボリバルは南米北部一帯を統合する大コロンビアの建国を宣言し、
スペインとの戦いを続けベネズエラ、次いでペルーを獲得した。
ペルーでの戦いの最中アルゼンチンのサン=マルティンと会談したが、
双方の方針が合わずに決裂し、共闘することは無かった。
南米のスペイン領が全て独立し独立戦争は終結したが、
戦禍によって国内は疲弊し、また地域間の対立も根強く、
結局内乱の末各地が独立し大コロンビアは瓦解してしまった。
失意のボリバルは引退してヨーロッパへ行こうとしたが、
道中腸チフスに罹患し、病状が悪化してそのまま死去した。
ボリバルは理想主義的な革命家で、
現在でも南米各国で独立の父として称えられている。
元々熱心な共和主義者であったが、
大コロンビアを強固な中央集権体制でまとめようとし、
その結果独裁的になって周囲の反発を招き、
内乱の末大コロンビアが瓦解することになってしまった。
スペインからの独立と大コロンビア建国という創業に成功した優れた英傑ではあったが、
その維持と発展という守成には失敗し失意のうちに死去した。
ボリバルが共和主義者となったのはナポレオンを反面教師としたためとも言われるが、
結局ナポレオンのような運命を辿った。