司馬仲達(しばちゅうたつ)

[中国−後漢末・三国]

三国時代の魏の将軍で、晋の宣帝。名は懿、仲達は字。河内郡温県出身。 (胡散臭いが)首が180度回転する狼顧の相だったという。 名門司馬氏の次男で、兄弟8人は八達と呼ばれ皆優秀であったが、 彼は特に優れていた。 人材収集マニア曹操の目に留まるが、仕官を一度は断る。 しかし優秀な人間を手に入れるためなら山を囲んで燻し出しもする 曹操相手に身の危険を感じたか、とりあえず仕官する。 曹操には警戒されないよう、猫かぶりを通した。 仲達のような優秀過ぎる人間にとって曹操は仕え難かった。 この辺り劉備に仕えた孔明とはえらく違う。 その子曹丕とは同年代であるためかウマが合い、 曹丕の代になると本格的に活躍し始める。 曹丕が死去するとき、 その子曹叡の後見を曹真・曹休・陳羣らと共に託される。 孔明の北伐に際し、まず寝返ろうとした孟達を破り、孔明の出端を挫く。 それ以降主将曹真の補佐として、 その死後は全軍の将帥として孔明と対峙する。 補給に難のある蜀漢に対して持久戦で挑み、無理なく追い返す。 孔明の死後、その木像を見て引き返し「死せる孔明生ける仲達を走らす」 と言われたが、本人は気にしなかった。 これは、孔明よりも手柄を立て過ぎることで 警戒されることを怖れたためであったという。どうも魏はやり難い。 その後遼東の公孫淵を討伐し、 曹叡の死去する際再びその養子曹芳の後見を頼まれる。 曹真の子曹爽が政治の実権を握るが、 「ボンボン」曹爽は「狸爺」仲達の敵ではなく、クーデターで倒される。 実権を掌握した後、251年死去する。 その息子達は簒奪の準備を進め、 孫の炎の代になって遂に帝位に就く。
仲達は謀略と戦術に長けた名将であり、 ライバルとされる孔明とは別の種類の人間である。 孟達と戦ったときは速攻、 公孫淵の時は持久戦と臨機応変の戦術を立てることが出来た。 北伐は仲達の勝利といえるし、人生でも彼は勝利者といえる。 しかし陰険・冷酷な人物だし、孔明が善政で慕われたのに比べ、 公孫淵討伐の時には無用の虐殺もしている。 彼が好かれることはまずあるまい。 いつまでも孔明の敵、憎まれ役であり続けることだろう。

見出しのページに戻る
歴史小事典+歴史世界地図に戻る