元老院(げんろういん)

[王政ローマ・共和政ローマ・ローマ帝国・その他]

事実上共和政ローマを支えた組織。 ローマ以外でも同様の組織を元老院と訳す例もある(ヴェネツィア等)。 元々王政では有力者の集まりである元老院は諮問機関であったが、 王を追放して共和政となると、国家の要職は元老院議員で占め、 政治の実権を握った。 このことは、ローマの正式名称が senarus populus que romanus(ローマの元老院及び市民) であることからも容易に推察できよう。 貴族と平民の権力闘争で平民の権力が拡大しても、 元老院には新たに平民出身者が加わり、 元老院自体は衰えなかった。 この状況が変化したのは地中海の覇権を握った後である。 支配地域の増大と社会構造の変化により、 共和政体に綻びが現れたのである。 そして、時代はマリウス・スラという強力な個人が動かすようになったのである。 スラは終身独裁官となり元老院と共和政の強化に努めたが、 彼の死後やはりポンペイウス・クラッスス ・カエサルという個人の台頭は避けられなかったのである。 クラッススの死によってバランスが崩れると、 元老院(すなわち共和政擁護派)はポンペイウスに荷担したが、 カエサルに敗北、時代は帝政へと動き始める。 カエサルは暗殺されるが、 跡を継いだオクタヴィアヌスによって帝政が始められ、 元老院は完全に実権を失う。 以後、帝政時代には皇帝の承認とサポートの機関となっているが、 能力の無さをさらけ出すことにより、 その存在価値は徐々に薄れる傾向にあった。 それでも、形だけは東西ローマの滅亡まで残ったのである。

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