セルジューク朝(セルジュークちょう)

[中央アジア・中東−中世]

トルコ人によって建国されたイスラム王朝。 最盛期には中央アジアのマー=ワラー=アンナフル (現在のウズベキスタン) からシリア・アナトリアまで支配した大帝国であった。 トルコ系遊牧民の族長セルジュークがイスラム教に改宗したので、 子孫はセルジュークの名を家名として用いた。 セルジュークの孫トゥグリル=ベクはイランのニシャプールを奪取して ホラサン地方の支配権を固めた。この時がセルジューク朝の建国とされる。 その後西に勢力を拡大し、マンツィケルトでビザンティン帝国を破って シリア・アナトリアに勢力を拡大した。 しかし、追い詰められたビザンティン帝国は西欧に援軍を要請、 セルジューク朝が聖地エルサレムを占領していたこともあり、 十字軍を招いてしまった。 十字軍の少し前に名宰相ニザームル=ムルクがニザール派 (俗に言うアサッシン派) に暗殺され、 直後に名君マリク=シャーが病死すると内紛が起こり、 その直後に十字軍が攻めてきたこともあって国力が衰えた。 一時は持ち直すものの、東方で西遼 (カラ=キタイ) に破れ、 最後のスルタンの病死と共にセルジューク朝は滅亡した。 ただし、セルジューク朝は各地に小王国を分立させる方法で支配し、 この地方王朝はさらに後まで残った。 特に有名なアナトリアのルーム=セルジューク朝はモンゴル侵攻まで独立を保ち、 モンゴルの支配下で名目上は十字軍終了後まで生き残った。

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