セリム2世

[オスマン帝国]

オスマン帝国の第11代の君主。 父スレイマンは「立法者」と呼ばれた名君であったが、 晩年息子達の間で後継者争いが起こるのを許してしまい、 暗愚なセリムのみが残ってしまった。 セリムは同名の祖父とは異なり酒飲み以外に特筆すべきことが無く 「泥酔者 (メスト)」と呼ばれた。 帝国自体は父が整えた官僚機構や宰相のソコルル=メフメトー=パシャのおかげで 彼が何もしなくても運営に支障をきたさなかった。 彼の代にレパントの海戦でオスマン海軍がキリスト教国に敗北したが、 それに対し「痛くも痒くも無い」と言ったとされる。 事実帝国の拡大はそれ以降も続いたが、この敗戦は後の帝国衰退に先駆けて ケチのつき始めとなったのも事実である。 また彼以降のスルタンは自ら軍事も政務も行わなくなり (よってスルタンの権威も堕ち)、 その意味でも帝国衰退の先駆けとなった。 例えば春秋の覇者である斉の桓公も政務を管仲にまかせて 専ら遊興に耽ったとされるが、 管仲を抜擢したのは桓公だし重要な決定は桓公が裁可した。 本当に酒飲みしかしないセリムとは違うのである。 最後は泥酔して転倒し、頭を打って死去したという。

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