[オスマン帝国]
オスマン帝国の第9代の君主。
内乱を防ぐため兄弟を殺害し、廃位した父を殺したとも言われるため
「冷酷者 (ヤウズ)」と呼ばれた。
上記の通り父バヤジット2世を廃位して即位し、
即座にスルタン位の脅威となり得る親族を殺害した。
またシーア派の反乱を徹底的に鎮圧した。
これはオスマン帝国による数少ない宗教弾圧である。
セリムは征服者と呼ばれたメフメト2世以上の征服者でもあった。
先ず反乱を扇動したサファヴィー朝とチャルディラーンで戦って勝利した。
次いでシリア・エジプトに遠征し、マムルーク朝を征服した
(ただし統治は親オスマン派のマムルークに任せられた)。
この大国の征服によりオスマン帝国の領土はほぼ倍になり、
聖地メッカ・メディナの保護権も得て、
名実共にイスラムの盟主となった。
次いで海賊行為を繰り返していた聖ヨハネ騎士団の本拠地
ロードス島への遠征準備をしていたが、
間もなく病没した。
セリムはそのあだ名の通り恐れられたスルタンで、
即位時の親族だけでなく大臣も多く処刑された。
反面、果断で有能であるとも見なされており、
学問や詩にも秀でていたという。
事実帝国は勢力を拡大し、息子のスレイマン時代の最盛期を築く基となった。
信長や曹操のようなイメージであろうか (セリムは専ら軍事中心だが)。