ササン朝(ササンちょう)

[中東−古代・中世]

イスラム教以前に中東を支配したイラン系の王朝。 初代アルデシールがパルティアを滅ぼして建国した。 パルティアがイラン系でありながら文化的にはヘレニズム的だったのに対し、 ササン朝はゾロアスター教を国教とし、 文化的にもアケメネス朝ペルシア帝国への回帰を進めた。 非常に国粋的な王朝である。 パルティアの軽騎兵に対し、ササン朝ではカタフラクトス、 或いはクリバナリウスと呼ばれる重騎兵を主力とし、 兵站も強化されて非常に攻撃的な軍隊になった。 そのため、ローマ帝国およびビザンティン帝国はササン朝の侵攻に度々苦しめられた。 特に2代目シャープールはローマ軍を破り、皇帝ヴァレリアヌスを捕虜にした。 ローマ皇帝が敵の捕虜となったのはこれ1度きりである。 400年にわたって隆盛を誇ったが、やがて衰え、 アラビア半島に興ったイスラム教徒によって滅ぼされた。 ササン朝が滅亡してイラン人はイスラム教徒になったが、 ササン朝の国粋主義に培養されたイラン人の独自性は残り、 後にイランがシーア派の牙城となる基盤となった。

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