サン=マルティン

[ラテンアメリカ−近代]

南米の革命家で、 リベルタドーレスと呼ばれる独立運動指導者の内シモン=ボリバルと並び著名な人物。 フルネームはホセ=フランシスコ=デ=サン=マルティン=イ=マトーラス。 現アルゼンチン北東部の小村で軍人貴族の子として生まれ、 幼少時に家族と共にスペインへ渡り、軍人となった。 スペイン軍では師団長にまで出世したが、 故郷アルゼンチンの独立運動の高まりを聞き、 地位を捨てて帰国した。 帰国後は軍人としてスペインと戦いつつ、 当時スペインの拠点であったペルー解放を主張した。 軍を率いたサン=マルティンはアンデス山脈を越えて先ずチリを攻撃し、 サンティアゴに入城してチリの独立を達成した。 その後軍の海上輸送の準備に手間取ったものの、 北上してリマに入城し、ペルーの独立を達成した。 ところが内陸部の現ボリビアで勢力を保ったスペイン軍には対処できず、 北で戦っていたシモン=ボリバルに支援を求め会談を行った。 会談の内容の詳細は不明だが、 共和制を望むボリバルと君主制を志向したサン=マルティンとで 方針が大きく食い違ったと伝えられ、 交渉は決裂し失敗に終わった。 さらにペルーの統治に失敗した上長く母国アルゼンチンを離れていた サン=マルティンは人望を失い、 失意のうちに引退しイギリスに亡命した。 その後帰国を果たすことなくフランスで死去した。
現在シモン=ボリバルと共に南米独立の父と称えられるサン=マルティンだが、 功績が軍事面に限定され政治面ではあまり功績がないこと、 さらにボリバルが一応南米全域の独立までは達成したのに対し 志半ばで失敗から引退に追い込まれたことから、 やや控えめな評価となっている。 引退から死までは完全に人望を失っていたが、 死後独立の功労者として再評価され、 現在のように独立の英雄として南米各地で称えられるようになった。

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