[中東−中世]
イスラム教徒の中で最も有名な英雄であり、アイユーブ朝の建国者。
一般にサラディンの名で知られる。
サラーフ=ウッディーンは「信仰の救い」を表す尊称で、
本名はユースフ=ブン=アイユーブ。
因みにサラーフ=ウッディーンの「フ」は無声音、「ウ」は発音しないため、
「サラーディーン」に聞こえるようである。
セルジューク朝のティクリート代官でクルド人である
アイユーブの子として生まれた。
叔父のシール=クーフが罪を犯したため一族追放されたが、
かつてザンギー朝の始祖ザンギーを助けたことがあったため、
ザンギー朝に迎え入れられた。
後ヌール=ウッディーンの部将となった叔父シール=クーフに従い、
各地を転戦し、勇名を高めた。
シール=クーフの死後後継者となり、
軍事力を背景にエジプトのファティマ朝の宰相となり、
実権を掌握した。
この頃から自立の動きを見せ、主君のヌール=ウッディーンと対立したが、
ヌール=ウッディーンの死により直接対立は回避されている。
後ファティマ朝を滅ぼして自らの王朝であるアイユーブ朝を建国し、
主にシリア方面で勢力を広げた。
主な敵は十字軍であったが、元主君のザンギー朝や
スィナーン率いるニザール派 (いわゆる暗殺教団) とも戦った。
特に十字軍からエルサレムを奪還し、その名声を不動のものとした。
しかし、このことが第3回十字軍を招き、
主にイングランド王リチャード1世と死闘を演じることとなった。
この猛将率いるイングランド軍には苦戦したものの、
有利な条件での和睦に成功した。
しかし、サラディン自身はその後間もなく病没した。
その領土は息子達に分割相続されたが、
息子達にこの偉大過ぎる父を継ぐ器量は無く、
その政権は弟アル=アーディルの下に転がり込むことになる。
イスラムではエルサレムを奪還した英雄として有名だが、
敵であった西欧でも、捕虜に対する寛大な振る舞いにより英雄とされている。
軍事手腕ではライバルであるリチャードに及ばないかもしれないが、
虐殺を繰り返したリチャードと異なり、
常に王者らしい振る舞いで敵味方を信服させた。
英雄の名にふさわしい人物であると言えよう。
また、捕虜に対する寛大な処置は敵の勢力を温存させることになる
という批判もあるが、
それ以上に外交交渉で相手の心象を良くすることに効果があったはずである。
サラディンは生涯戦いを繰り返し戦士の印象が強いが、
軍事手腕以上に政治手腕に優れていたように思われる。
実力と人徳を兼ね備えた稀有な人物と言えよう。
余談であるが、エジプトのスルタンになった後、
シリアの戦いのため普段ダマスカスに滞在し、墓もダマスカスにある。
エジプトでも学問を奨励する等治績はあるのだが、
ほとんどエジプトには不在であったため、
部下は苦労させられたようである。