蔡倫(さいりん)

[中国−漢]

後漢の宦官。字は敬仲。 製紙法を改良し実用的な紙を生み出した人物として知られる。 明帝の晩年に宦官として宮廷に出仕し始め、 和帝が即位する頃には皇帝の傍仕えである中常侍まで出世した。 そして誠実かつ品行方正さ、そして学問や工作を好む点が評価され、 武器を始め多種多様な品々の製造や開発を司る尚方令に任じられた。 そして樹皮・麻屑・破れた漁網などの廃棄物を用いて紙を作成し和帝に献上した。 かつてはこれを「紙の発明」としていたが、 後にそれ以前から紙が存在していたことが判明した。 しかしそれ以前の紙は高価な絹織物製で実用性に欠けていたが、 蔡倫の献上した「蔡侯紙」は比較的安価で優れていたため広く使われるようになったという。 なお現在の紙の製法も原材料が廃材でないことを除けば蔡侯紙とほぼ同じである。 蔡倫は和帝に信任され、尚方令の仕事以外にも政務に参画し、 しばしば意見を具申した。 しかし蔡侯紙の献上後間もなく和帝・その子の殤帝が相次いで没し、 廃太子劉慶の子が安帝として即位した。 安帝が成長し親政を志して実権を握っていた外戚のケ氏を粛正したが、 その過程で父劉慶の廃太子の陰謀に蔡倫が関わっていることが判明した。 そのため蔡倫に出頭が命じられたが、 名誉を守るため使者に命令と共に渡された毒薬で蔡倫は自死した。
蔡倫は蔑視されがちな宦官ながら紙の改良によって偉人として名を残した。 しかし純粋な技術者ではなく皇帝に信任され国家機密(陰謀も含む)に携わる立場だったことが仇となり、 自死に追いやられた。

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