[ヨーロッパ−近代]
フランス革命期の政治家。
ジャコバン派のロベスピエールの側近として恐怖政治を推進し、
美貌と冷徹さから「革命の大天使」「死の天使長」と呼ばれた。
フルネームはルイ=アントワーヌ=レオン=ド=サン=ジュスト。
フランス中部で農民上がりの騎兵士官の子として生まれ、
司祭であった伯父の元で過ごした。
ランス大学の法学部に入って学士号を得たが、
過激な風刺歌「オルガン」を地下出版して王や教会を批判し、
お尋ね者となった。
フランス革命勃発後に国民衛兵隊長に選ばれ、
さらに国民公会議員となって政治の世界に入った。
特に国王裁判での処女演説が有名で、
強烈な印象を残して国王の処刑を決定づけたと言われる。
ジャコバン派政権ではロベスピエールの側近として奔走し、
特に革命戦争では度々前線視察を行っていた。
しかしテルミドールのクーデターでロベスピエールと共に逮捕され、
得意の演説を許されないまま処刑された。
サン=ジュストはロベスピエールの側近として恐怖政治に携わったが、
美男子ぶりと激しい演説で高名であった。
また一説にはロベスピエール以上に過激な思想を持っていたとも言われ、
後世フランス革命とその狂気の顔役として
(しばしば悪役ではあるが) 人気を博すこととなった。