劉恒(りゅうこう)

[中国−漢]

漢の文帝。漢の皇帝は頭に孝の字をつけることが多く、孝文帝とも言う。 父は劉邦で、母は薄姫。 薄姫は魏の王族だったようだが家は没落していた。 劉邦の寵愛の少ないその他大勢の女であった。 そのため劉恒も大して目立つこともなく、辺境の代王となっていた。 しかしクーデターで呂氏政権が倒されると、 母の家のコネがないことから、 呂后に懲りた重臣たちによって皇帝に選ばれた。 こうして日陰者が一躍大漢帝国の主となった。 文帝の治世は既に出来上がっていた統治体制が 官僚によって全自動で動いており、 皇帝は曹参以来流行した道家的思想である 無為自然で見守っていれば良かった。 文帝は時に部下にたしなめられながらも、 手を出さないことで天下泰平の世を生み出した。 死後皇帝として最高の称号である文の字を謚される。 後の武帝と比べると、名君というものについて考えさせられる。 皇帝としては性格的に、 ローマ五賢帝のアントニウス=ピウスに近いと思われる。

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