劉玄(りゅうげん)

[中国−新・漢]

新末の動乱期に擁立された皇帝で、更始帝と呼ばれた。字は聖公。 一説には弟の敵討ちに失敗し動乱が起こるまで世間から隠れていたとも言われる。 動乱の時代には平林軍に加わり、緑林軍や春陵軍といった近隣の勢力と合流した。 春陵軍には有能な劉[糸寅](光武帝劉秀の兄)がいたが、 部将達は自らの勢力が脅かされることを嫌い、 家柄は良いが凡庸な劉玄が旗頭として擁立され更始帝を名乗った。 更始帝軍は劉秀が昆陽で新の大軍を撃退し、 劉[糸寅]が宛を攻め落とすなど善戦したが、 彼らの名声を恐れた更始帝は劉[糸寅]を殺害し劉秀を雌伏に追いやった。 その後も勢いに乗った更始帝軍は洛陽・長安を陥落させて新を滅ぼし、 長安に遷都した。 長安で更始帝は政務を顧みず奢侈に耽ったが、 農民反乱軍である赤眉軍の大軍が迫ると部将達は逃走を図り、 更始帝は密議がバレて謀反を起こした彼らによって強引に落ち延びさせられた。 疑心暗鬼に陥った更始帝は部下を粛清して他の部将達の離反を招き、 一旦は長安に帰還するも赤眉軍によって再び追い出された。 更始帝は赤眉軍の投降を認めるという言葉を信じて投降し長沙王となったが、 更始帝から離反し赤眉軍に付いた張ゴウが後難を恐れて赤眉軍の将を唆し殺害させた。

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