[ヨーロッパ−近世・近代]
旧ソ連・モンゴル・フィンランド・東欧の一部を支配していた大帝国。
日本では前身のロシア=ツァーリ国もロシア帝国に含めることが多いため
ここでは両者をまとめて述べる。
モスクワ大公のイヴァン3世は滅亡したビザンティン帝国の継承者を称し、
「雷帝」イヴァン4世はツァーリとして正式に即位した。
当初ツァーリは「王」程度の意味であったが、
後世のロシアの隆盛により「皇帝」の意味も持つようになった。
イヴァン4世は恐怖政治によって独裁者として振る舞ったが、
障害児であった後継者フョードル1世は継嗣無く死去し、
リューリク朝は断絶した。
その後大貴族のボリス=ゴドゥノフがツァーリとなったが国内は纏まらず、
その死後大動乱と呼ばれる混乱期に入った。
大貴族のミハイル=ロマノフの即位により混乱は収まり、
ウクライナやシベリアで領土を拡大させたが、
当初ロマノフ家のツァーリの権限は弱いものであった。
しかしミハイルの孫のピョートル1世は近代化改革を成し遂げ、
自身の権力を確立させ、さらに北方戦争に勝利してバルト海沿岸の領土を獲得した。
このピョートルがインペラトール(皇帝)に即位し、正式な「帝国」となった。
ピョートルの死後は女帝・幼帝が続き改革が逆行することも多々あったが、
エカチェリーナ2世などの有能な君主な代にはポーランド東部やクリミア半島を獲得し
さらに領土を拡大させ類のない広大な帝国となった。
一方国内では農奴に対する統制は強化された。
19世紀はこの対外拡大と内政での後進性の問題噴出の世紀となった。
デカブリストの乱やナロードニキ崩れのアナーキストのテロが頻発し、
アレクサンドル2世は爆弾テロで暗殺されるほどであった。
最期のツァーリのニコライ2世の代に日露戦争の敗北で反帝政の動きがさらに広まり、
さらに第1次世界大戦での劣勢で趨勢は決定的となり、
2月革命によりニコライは退位、ロシア帝国は滅亡した。
ロシア帝国の特徴は「領土の広大さ」と「内政の後進性」である。
母体となったモスクワ大公国も周辺のルーシ諸公国を併合してかなりの大国となったが、
ロシアとなって以降もウクライナやポーランド東部を併合してさらに拡大した。
さらに東部には敵となる大国がないシベリアが切り取り放題であり、
中央アジアも植民地として刈り取ったため面積において類を見ない超大国と化した。
一方、貴族が農奴を支配する社会構造は結局変化せず、
それが先進性を求める勢力の不満を募らせて社会不安の元となり、
また帝国を崩壊させる直接の引き金となった。
さらに人口・面積で圧倒的でありながら
西欧諸国から後進国としてやや見下されることにも繋がった。
こうした気質はその後のソ連にも受け継がれ、
一時は派手な重工業や宇宙開発によって隠されていたが、
ゴルバチョフの情報公開およびソ連崩壊により国民の生活水準の低さ、
技術水準の低さが露わとなった。