[ヨーロッパ−中世]
ハプスブルク家の最初の神聖ローマ帝国君主 (ドイツ王)。
後のハプスブルク家躍進の基盤を築いた。
元来ハプスブルク家はシュタウフェン皇室に忠実なスイスの小領主に過ぎなかったが、
強大なボヘミア王オタカルを嫌う諸侯の思惑によりドイツ王に選出された。
しかし、ルドルフは即位すると諸侯と政略結婚を繰り返して自家の基盤を固めた。
また、臣従を拒んだオタカルをマルヒフェルトの戦いで奇襲で破って敗死させ、
本拠地をオーストリアに移してハプスブルク家の基礎を築いた。
しかし、同時に領地の分割相続という
後に発展の障害となる悪しき前例の作ってしまった。
また、イタリア進出政策を転換し、ドイツ国内を重視する政策を採ったが、
ローマ教皇が親仏派であったため皇帝になれなかった。
また、諸侯の反対でハプスブルク家による皇位世襲化も失敗した。
このようにその成果は限定的ではあったが、
ルドルフはハプスブルク家を小領主から有力諸侯にまで引き上げた立役者である。
また、大空位時代で混乱したドイツを建て直した中々の名君でもある。