ピーテル=パウル=ルーベンス

[ヨーロッパ−近世]

バロック期を代表するフランドルの画家。 カルヴァン派の法律家の子として生まれた。 父はオランダ総督ウィレム1世の妃アンナの法律顧問から愛人となり、 発覚して投獄された経歴を持っていた。 しかしルーベンスは故郷のアントウェルペンでカトリックとして育ち、 作品にもカトリックの強い影響を受けた。 生活のため伯爵未亡人の小姓となったが、 芸術的才能を見出されてアントウェルペン出身の画家に弟子入りし、 修行を終えて独立した芸術家として芸術家ギルドである聖ルカ組合のメンバーとなった。 遊学のためイタリアに渡ったときにはマントヴァ公の援助を受け、 さらに使者としてスペインを訪れたのを切っ掛けに外交官も兼ねるようになった。 母マリアの危篤、死去を切っ掛けにイタリアからアントウェルペンに戻り、 スペイン領ネーデルラントの大公によって宮廷画家として迎えられた。 ただしアントウェルペンに自前の工房を持ち、宮廷以外の作成依頼も受けていた。 また作品制作の合間に外交官としての仕事も行っていた。 ネーデルラントとスペインの休戦が終わり戦争となると外交官としての仕事が増え、 スペインとイングランドの王宮を何度も訪れ、 その合間に滞在先で作品の制作も行った。 晩年はアントウェルペン近郊で過ごし、生涯作品を作り続けた。
ルーベンスは非常に多作な画家で、一人で描ける分量を越える依頼を受けていた。 その量を熟すため「黄金の工房」を組織し、デッサンと仕上げはルーベンス自身が行い、 途中の着色は弟子に行わせる分業体制で作成していた。 ヴァン=アイクなど著名な画家がルーベンスの弟子として「黄金の工房」 の作業を経験している。 日本では「フランダースの犬」で有名だが、 謹厳な宗教画家のイメージに留まらず、 自前の工房経営や外交官も熟した実に活動的な「やり手」であった。

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