[ヨーロッパ−近代]
ドイツの軍人・政治家。
ドイツ統一三傑の一人で陸軍大臣として軍制改革を断行し、
またビスマルクを首相に据えて陰で統一事業を支えた。
フルネームは
アルブレヒト=テオドール=エミール=フォン=ローン伯爵。
プロイセン東部で新興の地主貴族ユンカーの子として生まれ、
陸軍幼年士官学校を卒業後にプロイセン陸軍に入隊し、
陸軍大学を経て参謀将校となった。
ドイツ三月革命で反乱鎮圧の際に司令官であったヴィルヘルム王子
(後のヴィルヘルム1世) の目に留まって側近に取り立てられた。
当時のプロイセンでは予備役の予備とも言うべきラントヴェーアが
独立した軍として大きな地位を占めていたが、
予備故に比較的高齢で軍人としての質を疑われ、
また民主主義の牙城と化して王族に嫌われていた。
ヴィルヘルム王子にこの制度の改革立案を任されたローンは
ラントヴェーアを後備に回して弱体化させ、
また徴兵数を増加させて正規軍を強化させる案を作成した。
ヴィルヘルム王子が摂政となると陸軍大臣に任じられ、
改革を実行しようとするも自由主義者が多数派である議会に阻まれた。
そこでローンは王となったヴィルヘルムに
保守派で辣腕の持ち主であるビスマルクを推薦した。
首相となったビスマルクはローンとヴィルヘルムの期待に応えて軍制改革を強行し、
対デンマーク戦での勝利を成し遂げた。
続く普墺戦争・普仏戦争でも陸軍大臣として軍を支えたが、
しばしば作戦に介入して参謀総長のモルトケと対立した。
それでも戦いに勝利し戦後元帥・プロイセン宰相となったが、
鉄道協会設立経費の不正疑惑によって失脚し、引退に追い込まれた。
引退後は喘息に苦しめられ、最期はベルリンで死去した。
ヴィルヘルム1世はドイツ統一三傑を評し
「ローンが剣を研ぎ、モルトケが剣を振るい、
ビスマルクが外交で他国の干渉を防いでプロイセンを勝利に導いた」
と述べた。
その通りローンは裏方として軍制改革を支えた有能な陸軍大臣であった。
一方作戦に介入してモルトケに嫌われ、
また戦後政治家としては成果を出せないまま引退に追い込まれた。
軍政以外は不得手であったにもかかわらず手を出してしまったことで汚点を残し、
三傑の中で一番地味かつ低くみられることになってしまった。