ローマ帝国(ローマていこく)

[ローマ帝国]

オクタヴィアヌス以降のローマの呼称。帝政ローマとも言う。 ローマの安定成長期から衰退期に当たる。 特にディオクレティアヌス帝以前を元首政(プリンキパトゥス)、 以降を専制君主政(ドミナトゥス)と呼び区別する。 共和政末期ローマは内乱に苦しんだが、 オクタヴィアヌスによって平和を取り戻し、 「ローマの平和(パクス=ロマーナ)」と称えられた。 トラヤヌス帝を除けばブリタニア以外で領土の拡張は行わず、 ゲルマン人の撃退とパルティアとの小競り合い・同盟に終始し、 その力を専ら内政に注いだ。 カリグラやネロといった暴君もおり、ネロ暗殺後崩壊の危機に立ったが、 ウェスパシアヌスによって持ち直し、五賢帝時代に最盛期を迎えた。 しかし、五賢帝最後のマルクス帝の頃から周辺のゲルマン人も力をつけ、 またローマの諸制度に綻びが生じたこともあって、 徐々に衰退に向かった。 さらに時代が進むといわゆる軍人皇帝時代を迎えて群雄割拠状態となり、 帝国の状態は著しく悪化した。 しかし、「天性の統治者」ディオクレティアヌス帝の改革により、 ローマ帝国は再生を遂げた。 オクタヴィアヌス以来帝政と言えども共和政の格好わ残していたのだが、 以後共和政の雰囲気は薄れ東方的専制君主となったため専制君主政とも呼ばれる。 もう1つ、分割統治を始めたが、これは結果的には帝国の一部を切り捨てて 残りの部分を生かす結果となった。 最後の統一ローマ皇帝テオドシウスの死後帝国は東西に分割されたが、 国力の衰えの著しい西ローマ帝国は滅亡し、 東ローマ帝国はさらに1000年間存続することとなった。 しかし、この東ローマ帝国はほとんど古代ローマ帝国とは別の国と言うべきなので (何しろ永遠の都ローマは既に帝国から失われているので)、 一般には西ローマ帝国の滅亡をもって古代ローマの滅亡とすることが多い。 西ヨーロッパは以後中世に突入するが、ローマ時代の技術の多くが一旦失われ、 後世「暗黒時代」と呼ばれるようになる。

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