リューリク朝(リューリクちょう)

[ヨーロッパ−中世〜近世]

ロシアの諸公国を支配した王朝。 ノヴゴロドを建設したとされるリューリクを初代とするが、 歴史上で実在が確認されるのはその息子のイーゴリからである。 イーゴリやその子孫達はキエフ大公としてルーシの覇権を握り、 大公国が衰え分裂した後も各地の公位はリューリク家が独占した。 むしろ継承法が確立せずリューリクの血を引く「公」が増え過ぎたことが ルーシ分裂の遠因となったと言える。 タタールの軛を経て新たな覇者となったモスクワ大公もリューリク家であった。 このモスクワ大公はイヴァン4世の代で正式にロシアの「ツァーリ」に即位したが、 この子フョードル1世が嗣子無く死去したことでリューリク朝は断絶した。 ロシアはツァーリの正当性が弱く、また飢饉やポーランド侵攻が重なったことで 未曾有の動乱時代に入ったが、 貴族のミハイル=ロマノフが即位して終息した。 ロマノフ家はリューリクの子孫ではないが、王妃を輩出したためリューリク家の系図に連なり、 そのことが継承に有利に働いたようである。 また嫡流こそ途絶えたものの、傍流は大貴族としてその後も歴史に名を残した。

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