李隆基(りりゅうき)

[中国−唐]

唐の玄宗。全盛期を築いた皇帝である。 睿宗の子として生まれたが、 当時は武韋の禍と呼ばれる唐の混乱期であった。 韋后をクーデターで倒して即位する。 その後開元の治と呼ばれる唐の全盛期を築いた。 この時代に唐の国力は最大となり、 文化的にも李白・杜甫ら有名な詩人も現れ (これは玄宗とは関係ないとも思うが)絶頂に達した。 しかし、社会・経済構造の変化から徴兵制に代わり募兵制を採用、 また地方防衛のため節度使をおいた。 このことが、後に唐の衰退の原因の一つとなってしまう。 後年、美女楊貴妃に溺れて政治を顧みなくなり、唐の繁栄に影を落とす。 楊貴妃の一族の楊国忠を宰相にするが、彼は稀代の金権政治家で、 汚職を重ねて人心を離反させる。 巨漢の安禄山を寵愛して節度使に抜擢するが、彼は反乱を起こした。 唐の正規軍は敗戦を続け、李隆基自身も蜀に亡命するはめになり、 その際兵士の要求で楊貴妃や楊国忠を一族とともに殺さねばならなかった。 後太子に皇位を譲り、都長安は奪回され戻ることはできたが、 寂しい晩年を過ごし、間もなく死去する。 以後、唐は宦官と節度使によって衰退を続けることになる。
彼は有能な皇帝であったが、 後年楊貴妃に溺れた頃から政治に情熱を失い国を衰退させ、 挙げ句の果てに楊貴妃も死なせてしまった。 皇帝が女に溺れてはいけないと言いたい所だが、 個人の感情はどうにもなるまい。 それに、楊貴妃だけでなく年齢による老害もあったと思われる。 自分に限界を感じたら無理をせず引退すれば良かったと思われる。 人間引き際が肝心というところか。

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