リチャード1世

[ヨーロッパ−中世]

中世のイングランド王。獅子心王と呼ばれた猛将でもある。 プランタジネット朝初代のヘンリー2世の三男として生まれ、 アキテーヌの領主となったが、 父が弟ジョンを偏愛したのとフランス王フィリップらの策謀のため、、 兄と共に父に対して反乱を起こした。 兄と父が病没するとイングランド王として即位し、 同時にアンジュー伯領を始めとする大陸の広大な領土も相続した。 即位後すぐに皇帝フリードリヒ1世・フランス王フィリップ2世と共に 十字軍を興し、遠征に出発した。 しかし、フリードリヒはすぐに水死、フィリップとの仲も険悪となり、 ほとんど単独でサラディンと戦った。 この戦いでリチャードは驚異的な強さを発揮し、 獅子心王と呼ばれるようになったが、 同時に捕虜を虐殺したり、 共に戦ったオーストリア公レオポルドの軍旗を叩き落したりと、 驕慢な振る舞いが目立った。 やがて戦いは膠着状態となり、 本国で弟ジョンの擁立もあったため、 ほとんど得るところ無く休戦して帰国した。 しかし、この帰りに恨みを持つレオポルドに捕らえられ、 その主君である皇帝ハインリヒ6世に引き渡された。 リチャードは莫大な身代金を払ってようやく帰国できた。 帰国後ジョンを屈服させて王に戻ったが、 内政はカンタベリー大司教ヒューバート=ウォルターらに任せ、 自身は大陸でフランスと戦った。 しかし、小競り合いの最中に矢に当たり、呆気なく戦死した。 王位は甥のアーサーに継がせるつもりだったようだが、 アーサーがフランス王に育てられたため、ジョンが跡を継いだとされる。
リチャードは勇猛果敢な将軍であり、いまでもイギリスでは人気があるが、 実際には王としての統治はほとんど行っていない。 そのため、失点の多い弟ジョン以上に政治家としては無能と見なされている。 実際、相次ぐ戦いや身代金のためイングランドの財政は疲弊し、 ウォルターらの行政官僚のおかげで辛うじて持っていた。 しかし、彼はイングランド王リチャードとして知られているが、 母語はフランス語であり、自分のことも「リシャール」と呼んでいた。 そんな彼にとって故郷はフランスであり、 イングランド王の地位もオマケの一つに過ぎなかったのかも知れない。 ちなみに、皇帝フリードリヒ2世はイタリア生まれのシチリア王フェデリーコで、 皇位は彼にとって明らかにオマケである。 リチャード=リシャールも同じようなものであったのだろうか。 尚、騎士道の代表のように見られているが、 聖地での暴虐な振る舞いを見るととてもそうは見えない。

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